
JR下関駅から徒歩20分。長門国「嚴島神社」(下関市上新地町)があります。

こちらの神社には数回、参拝していますが、大きく見どころは二つ。

一つは、マンションの中に突き刺さっている鳥居。どうしてこうなったんでしょうね? 一見です!

もう一つは、元々、福岡県北九州市の小倉城にあった大太鼓が、山口県下関市の同神社にあること。

実は、この小倉城の大太鼓、幕末の志士「高杉晋作」が戦勝祈願を行った嚴島神社に、奇兵隊(長州軍)が戦利品として小倉城から持ち帰り、同神社へのお礼として奉納したものなんです。

長州藩(山口県)は、江戸時代末期、倒幕の中心地として幕府に睨まれていました。
1866年、幕府と長州藩との間で「幕長戦争」が起こります。幕府側から見れば長州征討(ちょうしゅうせいとう)。要するに長州を征伐するということ。長州藩側から見れば「四境戦争」といいます。
長州藩(山口県)は、今でいう四つの県境、福岡県、広島県、島根県、愛媛県の四方で幕府軍と戦い結果、幕府の全面敗北、長州藩の勝利で終わります。征伐すると言ってた方が反対に征伐されちゃったんですね。
この幕長戦争の結果、幕府の権威はガタガタと崩壊。翌年1867年に江戸幕府は政治権力を朝廷(天皇)に返上し「大政奉還」。1868年に明治維新となります。
当然そうなりますよね。例えれば、日本と山口県が戦争して、日本が負け、一地方である山口県が勝利したということですから。政治体制が一変した出来事でした。

小倉城の大太鼓に関しては、小倉城のある福岡県北九州市から返還の要望があるそうなので、私的には「返してあげたら良いのに」と思いましたが、私有財産なので、所有者に返還の意思がなければ難しいようなのです。
嚴島神社側としても、第三者の奇兵隊が奉納してくれたものでもあり、また神社の目玉でもあるから返還は難しいのでしょうね。
このことを考えていたら、過去、特に帝国主義の時代に、列強が世界中から搬出した文化財の返還問題が起こっていることとダフりました。難しい問題です。。。歴史好きな方は、ぜひ一度ご訪問ください。

(写真:銀河流星)
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