先日、「クレイルタワー下関海峡あいらんど 」(日本最初のステーションホテル「山陽ホテル」跡地)を紹介しましたね。
旧下関駅前に建設された「山陽ホテル」。日本初のステーションホテルで、三大ステーションホテル一つ。
明治35(1902)年開業。皇族や政治家、政府高官、著名人らが宿泊した日本トップクラスの格式を誇ったホテルでした。宿泊者は新聞にも名前が載ったそうです。


ちなみに三大ステーションホテル一つ「東京ステーションホテル」は大正4年(1915年)開業、「奈良ホテル」は明治42年(1909)の開業です。
戦前の下関は日本有数の拠点都市だったので、いかに時代の先端をいくモダンな建物が、いち早く下関に建てられていたかがわかります。
その壮麗な日本最初で最古となるステーションホテル「山陽ホテル」は、大正11年(1922)に火事により全焼します>.<

しかし再建され、二代目の「山陽ホテル」が、大正13年(1924)に営業再開。設計は「東京ステーションホテル」と同じ「辰野葛西設計事務所」でした。

ちなみに山陽ホテルの女性従業員は、紫の着物、紫の袴のユニフォームから「紫の君」と呼ばれ、市民の憧れの存在だったそうですよ😀

ところが1945年、空襲により山陽ホテルは被災し営業を停止。翌1946年2月、廃業決定となり、その華麗なホテル史に幕を閉じます。

ですが建物は、その後も最近まで残されていました。しかしJR西日本が「耐震に問題あり」と解体撤去を発表し、2011年に解体となります。
所有者のJR西日本の判断もどうかと思いますが、貴重な文化遺産を守れたかった下関市の見識も疑うところです。下関市が取得すれば良かったのに。移築という方法もあります。価値がわからなかったのは残念です。
日本の建築史・ホテル史を語る貴重な建物、ベーブ・ルースやヘレン・ケラーも宿泊した歴史ある山陽ホテルは、こうして失われてしまいました。
JR西日本は、建物の外壁煉瓦を利用して写真付き銘板を取り付けた高さ1.45メートル、幅1.65メートルの記念碑を跡地の前の歩道に設置し、下関市に寄付。

現在建設中のマンション「クレイルタワー下関海峡あいらんど 」前にある銘板がそれで、華麗な歴史を誇る山陽ホテルの僅かな名残りを感じさせます(悲哀)。

下関は、日本で最も早く近代建築がはじまった都市の一つでありますが、これまで少くない遺物が失われていると聞きます。
もう手遅れかもしれませんが、今後は、ぜひ見識を改め貴重な建物を発掘・保護し、活用する政策を取っていただきたいですね。
