唐戸市場の向かい側にある“関の氏神”「亀山八幡宮」(下関市中之町)は見どころいっぱい

下関市
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関の氏神「亀山八幡宮」(下関市中之町)。下関市内一円に氏子をもつ神社。観光地の唐戸市場の向かい側にあるので、ぜひ!

銀河がお勧めする亀山八幡宮のスポットは、四つ。

先ず鳥居の横にある「床屋発祥の地碑」。

采女之亮政之(うねめのすけまさゆき)という人物が、新羅人の髪結職からその技術を学び、日本初の結髪所を開いたと言われています。

床屋という屋号も下関から全国へ広まったそうです。日本全国の理髪店・美容院の皆様、下関観光の際はぜひ😀

2つ目は、国道9号線そばの御影石で出来た大鳥居の扁額「亀山宮」の「」の文字に挟まって50年以上も落ちないボール。台風でも豪雨でも落ちません。

落ちない」と言うことで、入試の受験生ほか、入社など様々な試験を受ける人々から人気😊

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3つ目は「おかめ明神」。亀山八幡宮の場所は古くは島。これを江戸時代に埋め立てるとき、関門海峡の流れは急で難工事となっていました。

江戸時代、江戸の「吉原」・京の「島原」に次ぐ三大遊廓の一つであった稲荷町(現・下関市赤間町)。

稲荷町の遊女、お亀さんが「我が身を滅して功あるならば」と人柱に立ち、海に身を投じて埋立の礎石となると、工事は順調に進み完工したそうです。悲しいお話ですね(T_T)

4つ目は「亀山砲台跡」。長州藩(山口県)は江戸時代末期、尊王攘夷の地。1863年、久坂玄瑞の指揮によりアメリカ商船攻撃合図の砲弾が亀山砲台より発射。下関戦争(1863/1864)が勃発。

結果、1864年、長州藩米英仏蘭連合国に敗北。複数あった砲台は破壊され上陸を許します。

これにより長州藩は列強との戦力の差を実感し以後、列強に対する武力での攘夷を放棄。海外から新知識や技術を積極的に導入し、軍備軍制を近代化。倒幕へと邁進します。

当時の列強最強の国々に戦争をしかける長州藩の無茶ぶりですが、これにより自国の立ち位置をいち早く自覚し、覚醒したともいえます。

亀山砲台はまさに近代日本の幕開けを告げる第一弾の号砲でした。

境内には他にも、林芙美子文学碑、世界最大の「ふくの銅像」などもあるので、ぜひご参拝ください😀

(写真:銀河流星)

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