日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」を巡る①藤原義江記念館(旧リンガー邸)

下関
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日本全国に104ある日本遺産山口県下関市にも日本遺産が😀「関門“ノスタルジック”海峡~時の停車場、近代化の記憶~」。

山口県下関市日本遺産は、県を跨いだ隣りの福岡県北九州市と関門エリアとして共同指定されており、構成文化財は全部で42。 下関市16、北九州市23、両市共通3となっています。

今回は、下関市側の構成文化財の一つ「藤原義江記念館(旧リンガー邸)」を紹介。

明治22(1889)年に、英国系商社「ホーム・リンガー商会」(瓜生商会)が下関に設立。

同商社の支配人の子息であるマイケル・リンガーのために昭和11(1936)年に建てられた住宅がリンガー邸。

竣工後、暫くはリンガー家の私邸として使用され、またリンガーが英国領事の代理で事務を執っていたことから、英国領事の公邸としても位置付けも!

ところでリンガー邸が藤原義江記念館になった理由は、

「藤原義江の父、ネール・ブロディ・リードが明治・大正期に下関の瓜生商会の支配人としてリンガー邸の隣にあった洋館に居住していたことにちなみ、昭和53(1978)年3月から、藤原義江に関する資料を公開する記念館としてリンガー邸が使われるように」なったとのこと。

藤原義江の父ネール・ブロディ・リード(Neil Brodie Reid)と、下関で活動していた琵琶芸者、母・坂田キクとの間に藤原義江は大阪(キクの実家)で生まれています。

藤原義江は大阪生まれ、下関出身の世界的オペラ歌手。藤原歌劇団を創設した人物。

アクセスですが、同地は看板通りに行けば辿り着けますが、ちょっと迷う方もいるかもしれません。赤間神宮の横にある日清講和記念館から行くのが一番わかりやすいかも。赤間神宮日清講和記念館の観光も兼ねて散策してみましょう。

「藤原義江記念館(旧リンガー邸)」からは関門海峡も一望でき、開放感ありますよ😀 途中のアプローチも趣があります。

(写真:銀河流星)

日本遺産ポータルサイト

関門“ノスタルジック”海峡~時の停車場、近代化の記憶~」STORY #052

ストーリー

古来より陸上・海上交通の要衝であった関門地域は、幕末の下関戦争を契機とした下関・門司両港の開港以降、海峡の出入口には双子の洋式灯台が設置され、沿岸部には重厚な近代建築が続々と建設された。狭隘な海峡を外国船が行き交う景観の中、日本が近代国家建設へ向け躍動した時代のレトロな建造物群が、時が停止したかのように現在も残されている。渡船や海底トンネルを使って両岸を巡れば、まるで映画のワンシーンに紛れ込んだような、ノスタルジックな街並みに出会うことができる。

関門“ノスタルジック”海峡|日本遺産ポータルサイト
日本遺産(Japan Heritage)ポータルサイトの関門“ノスタルジック”海峡について。関門海峡沿岸は、明治から昭和初期にかけて共に急速な発展を遂げ
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