日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」を巡る②蜂谷ビル(旧東洋捕鯨株式会社下関支店)

下関

日本全国に104ある日本遺産山口県下関市にも日本遺産が😀「関門“ノスタルジック”海峡~時の停車場、近代化の記憶~」。

山口県下関市日本遺産は、県を跨いだ隣りの福岡県北九州市と関門エリアとして共同指定されており、構成文化財は全部で42。 下関市16、北九州市23、両市共通3となっています。

今回は、下関市側の構成文化財の一つ「蜂谷ビル(旧東洋捕鯨株式会社下関支店)」を紹介。

皆さん、食品大手「ニッスイ」の創業地がどこかご存知ですか。実は下関市なんです。戦前の下関市は日本有数の拠点都市。日本銀行の支店も、大阪に次いで全国2番目に下関に開設されるほど。名古屋や横浜ではないんです。

ところでニッスイのホームページには、そのことがきちんと書かれていました。

引用:ニッスイ ホームページ

国登録有形文化財でもある「蜂谷ビル(旧東洋捕鯨株式会社下関支店)」は、ニッスイと関係ある建物です。

東洋捕鯨株式会社が後のニッスイになるんです。

ニッスイの方々、ぜひ新人研修などを創業地の下関で実施してくださいね! 下関は日本唯一の捕鯨基地として復活しており、良い刺激になると思いますよ。

またユニクロのように本社を山口県ニッスイは創業地下関に置いてほしい。ニッスイの役員の方々よろしくお願いします😀

(写真:銀河流星)

構成文化財:蜂谷ビル(旧東洋捕鯨株式会社下関支店) | 日本遺産 関門ノスタルジック海峡
北九州市と下関市の日本遺産 関門ノスタルジック海峡 公式観光案内サイト 文化財のご紹介です。

■ Commentary 

明治42(1909)年に設立された東洋捕鯨株式会社は、明治32(1899)年に設立された現在の長門市仙崎に本社を置く日本遠洋漁業株式会社を前身とし、大正期には日本の捕鯨事業をほぼ独占しました。日本遠洋漁業株式会社の時代から、現在の下関市岬之町に出張所が開設されていました。 

昭和9(1934)年に企業合併によって日本捕鯨株式会社に改称。のちに共同漁業株式会社、昭和12(1937)年には日本水産株式会社に名称が変わりました。企業合併で日本捕鯨となってからは、日本初の南氷洋捕鯨船団を送り出しています。船団は3ヶ月もの間漁をして、主に鯨油を生産していました。 

下関の捕鯨の歴史は縄文時代にまでさかのぼり、中世以降は16世紀から始まったとされる長州捕鯨とよばれる古式捕鯨が現在の長門市、萩市などの周辺に設立された鯨組を中心に行われました。下関市も鯨肉・鯨油の中継基地として繁栄し、長州藩は有力な財源として捕鯨を奨励。明治期まで力を入れていましたが、ロシアが日本海で捕鯨活動をしたため沿岸の古式捕鯨は衰退していきます。 

その後、近代式捕鯨としてノルウェー式捕鯨法が取り入れられ、日本における発祥地として再び活発化しました。特に下関市は戦前・戦後を通じ、南氷洋捕鯨基地として捕鯨関連産業を中軸に国内有数の地位を築いています。 

中でも蜂谷ビルは「下関における捕鯨業の隆盛を偲ばせる事務所建築」として、市のあゆみを伝えるものであり、重要な文化財です。 

窓の間にある方立(ほうだて:開口部材を支える垂直の間柱)にはタイルが貼られ、外壁はモルタル仕上げ。外壁から突き出して設けられた柱形の頂部には、幾何学模様の装飾があります。 

昭和53(1978)年に増築された部分を除く約240平方メートルが平成25(2013)年に国登録有形文化財となっています。登録後に建物の特徴を活かした改修が実施され、平成29(2017)年3月から一部が飲食店として使用されることになりました。レストラン内の中心飾りや柱は当時のままの面影を保っています。

■ Information

住所:山口県下関市岬之町13-7

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